妻がブログを書きたいと言って書いているのを見ているといつも「すごいなぁ」と思う。

自分にはその熱量が圧倒的に足りていないのだ。

だからこうやってよっこらしょよっこらしょと重い重い重~い腰を上げてやっといくらかの文章が生まれる程度しかできない。

多分文章を書くのが嫌いという訳ではない。むしろ好きなんじゃないかとすら思う。

でも、自分の中ある発達障害だか何かがそれを妨げる。それでもやるには理由が必要なのだ。

妻との暮らしだってそうだ。

正直言って結婚前の自分は家事をほぼしていなかった。ゴロゴロ、ゴロゴロ、ゴ~ロゴロしていたのだ。

今は何かこう、やらないでいる理由よりやる理由の方が大きいと感じている。だからなんだかんだいって家の状態を保つということをしている。

ADHDにも色々あるだろうから、あくまで自分はこうという話でしかないが、自分の場合嫌いなことはできないのはある意味当然として、好きなことであってもそう易々とは出来たりはしないのだ。

ここで理由というのが出てくる。

自分にはやる理由なしに動くというのは非常に難しい。でもそれは義務とかそういうのとは少し違う。

「やらないといけない」というようなことでも「別に『オレ』がやる意味ないじゃん」みたいなことはやはり理由としては少し軽くなってしまう。

自分にとっての「熱」は情熱やら義務やら正義やらというりは、理由とか意味とか必要性みたいな感じなのかもしれないな。

今日出た「熱」はどんな種類のものだったのかな。

暗闇を見ている

夕方にスマホで音楽を聴いていて、何となく「今何してるの?」と聞いたら「暗闇を見ている」と返事が返ってきた。

独特だ。

自分なら多分「何もしてない」と答えたように思うから。

別に自分の感性が標準というわけではないと思うが、それでもチキン(ニックネーム)の感性には自分にはない何かを感じることが多い。

先程も使用後の小皿に置いてあったティーバッグの絵を描いていた。

これも独特だ、と思う。

自分とは違う何かが、見えているのだ。

一方自分は部屋にあるゴミ箱を不注意で倒したり、柱などに脚の小指をぶつけたりと普通の人が見えているものが見えていないときがよくある。

なんというか、ボンヤリしている。

昔のことも次から次へと忘れていってしまう。

視界も、記憶も、何かとハッキリしていないことが多いのだ。

でも聴覚はちょっと違う。

チキンは聞こえないハズの音が聞こえたりするようなのでちょっとそれには及ばないが、かなり小さな音でも自分はよく聞こえる。

こう考えてみると自分も普通という感じではなかった。

暗闇の中で光るスマホを見ながら、そんなことをふと考えていた。

そぼろ丼

チキン(旧ブログのニックネーム)がブログを再開するというので自分もなんとなく始めてみた。

正直定期的に文章を書くというのはそんなに得意ではないので、いつまで続くかは分からないが。


ここ何日かちょっと食事を豪華にしたら体重がジワジワと増えてきたので、今日の昼食はシンプルにしようということになった。

シンプルと言えばわが家ではそぼろ丼だ。

作り方はまず冷凍してある豚挽き肉を200Wで3分ちょい加熱する。解凍というボタンはあるが、気の短い自分にはどうも使いこなせない。

それを油をひいたフライパンに入れて火をつけ、木べらで潰しつつ炒める。だいたい炒まってきたなと思ったら、醤油と調理酒、砂糖を適当に入れてさらに炒め、丼にご飯を入れ、炒めた挽き肉をかけて完成だ。

とにかく色々入れて炒めるとすぐに翌日の体重に響いてくるので全く油断はできない。レンジとかを使って油を減らせばもっといいのかもしれないが、あまりやり過ぎると反動が来て食べまくってしまったりするので加減が重要なのだ。